みどうと山本周五郎

NHK大河ドラマ「樅(もみ)の木は残った」、映画「赤ひげ」の原作などを残した小説家山本周五郎(1903-1967)は初狩生れです。周五郎は奥脇家所有の御堂(みどう)長屋で明治36年(1903)6月22日に清水逸太郎の長男として生まれました。本名は清水三十六、名付け親は当時の当主奥脇愛五郎。明治36年にあやかり「三十六」と書いて「さとむ」と命名しました。明治40年(1907)の寒場沢大水害で周五郎の住んでいた長屋は御堂屋敷と共に全壊し、祖父母、叔父、叔母を亡くしました。周五郎は当時4歳、両親と別の場所に居たため難をのがれました。

 

周五郎は昭和42年(1967)2月14日、63歳で亡くなるまで生前中は出生地について一切秘密にしていました。同年秋、山梨県塩山商業高校の生徒が出生地について調べ発見。代々戸長をしていた奥脇家所蔵資料により、初狩で生れたことが昭和42年初めて公けになったのです。「山本周五郎生誕之地」碑は当時の当主奥脇賢吾(1902-1993)らにより、みどう本陣敷地内に昭和54年(1979)6月22日建立されました。

 

昭和26年の小説「山彦乙女」には「みどう」というワードが記されています。初狩との因縁、周五郎が残したかったメッセージとは・・・

 

当施設では山本周五郎の生誕に関わる資料展示をご覧いただけます。