「みどう」は先祖代々の屋号です。奥脇家「屋号:御堂=みどう」の先祖は源氏の神職で武田信玄の神職にもつかえ武田一族が滅びると天正10年(1582)頃、初狩の地に帰農しました。代々当主は初狩の村役や戸長を勤めました。奥脇家の本来の「御堂屋敷」は当建物から南東方向約300メートルの所にありましたが、明治40年(1907)高川山の寒場沢土石流大水害で全壊しました。
当建物「本陣」の元々の住人は代々名主で山梨県北都留郡長及び北都留郡議会議員を勤めた藤本清左エ門(1841-1891)の一族でした。清左エ門の四男、奥脇愛五郎(1872-1921)が明治31年(1898)奥脇家へ養子入籍していたため「みどう」と「本陣」は親戚関係にありました。寒場沢大水害で「御堂屋敷」を失い命だけは助かった奥脇愛五郎一族はこの場所に移り住み、実父の清左エ門の生家である当建物を引継ぎ、爾来「みどう本陣」となったのです。
奥脇家は明治5年(1872)の郵便創生期より初狩郵便局を営んでいたことから、大正~昭和期には自宅兼郵便局としても当建物は使われました。甲州街道沿いに建つ旧型の赤い郵便ポストは歴史を感じさせてくれます。